「成長しよう」
「成長するために頑張ろう」
「成長の機会だと思ってやってみよう」
うーん。
全部わかる。
わかるんだけど、この手の話って、いつも「成長した後の話」が抜けているような気がしてならない。
結局、成長して得られるものって何だろう?
1年間でめちゃくちゃ成長しても、給与が大幅に変わるわけでもない。(昇格してもせいぜい数万~数十万円)
休みが増えるわけでもない。(有給は増えるけどw)
確かに、「成長した結果すごく充実した1年だったなー」って言いながら笑顔で年末を迎えられる年もあった。
でも、その充実感ってある程度パターン化されていて、同じ会社で同じ仕事をしている限りは、5年が限界だと思っている。
だから、より充実感を高めるためには、これまで担当していなかった役割をこなすか、仕事の規模や顧客層を変えるのが早いはず。
一般的には、プレイヤーではなくリーダーやマネージャーになること。
ただ、それはあくまで一つの会社にとどまる場合の最短ルートだと思っていて。
できる限りいろんなことをやるために、外に出てみるのもありだと最近は思うことが多い。
今の仕事はすごくやりがいがあって、正直誰でもできる仕事ではないと思う。(というか実際のところかなり難しいと思うw)
それでも、正直やりがいというよりは疲労感の方が強いことも多い。
毎日脳に汗をかきながら、いろんな人の間に挟まれて、集約して、その間にまた別の方向からナイフが飛んできて、それをかわしたり、受け止めたりしながら走り続ける…そんな感覚。
理念が浸透しているのは素晴らしい。凄い。
それでも、中には「成長のために」という魔法の言葉に踊らされている人もいるんじゃないかと思う。
その様子はまるで"成長"という病にかかっているようにも思える。
人生の大半を占める仕事だからこそ、仕事にやりがいや意義を求めるのは素晴らしいことだ。でも、それは決して万人に強要するべきことではないと思う。
今の時代、なんだかんだ言って、マズローで言う安全欲求を満たすことで本当は精一杯の人が多いんじゃないだろうか。
そんなことをふと感じた、ある1日のお話。