こんな風にひどく蒸し暑い話

一人飯のおかずになるブログ「こんな風にひどく蒸し暑い話」を毎日更新。2週間で10万PVを突破したかった。「ミスチルを聴けば大体の病は治る」「どうせ死ぬならとち狂え」が持論。友達が少ない。ドM界の貴公子というドブみたいな自己PRで人材系会社に営業として就職後、転職サイトの運営会社へ。全日本ノーフレンド協会理事長。

なぜ今「ブロガーごっこ」をするのか。

こんばんは。

社会人になってからずっと思っているんだけど、敬語ってコミュニケーションロスなんじゃないかなぁ。

日本語は美しい。

それは事実だと思う。

 

でも、敬語を意識するあまり、どうしようもなく無駄な時間も発生しているんじゃないだろうか。

敬語に救われる時間があるのも事実だから、持ちつ持たれつなのかもしれないけど…

そんな事を考えながら過ごす今日この頃です。

 

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さて。

なぜこのタイミングでブログを再開したのか、なぜ毎日書こうと思ったのか、というお話について。

 

理由はいくつかある。

一つは、「最近退屈だなぁ…」と思ったから。(ハロー!中☆二☆病)

 

経験上、自分の人生がつまらないと思う時は、大体①何も行動していない時か、②行動しているけど結果が出ていない時か、③行動して何かしらの結果が出たけどその結果に満足できていない時のどれかだ。

 

じゃあ自分は今どの状態なんだろう?と思ったけど、正直今回に関してはよくわからない。たぶん、③に近いはず。

 

仕事はまだまだ上司に及ばないにしても、正直それなりにやっている方だと思う。具体的な結果も少しずつ出てくるようになった。

 

でも、心から今の仕事を楽しめているか?と聞かれたら、たぶんそんなことはない。

それは仕事にやりがいを見い出せていないからなんじゃなくて、この先ずっと同じような環境で、同じような人達と、同じようなことをしているイメージがつかないからだと思う。

 

そしてそれ以上に、自分が喜びを感じる瞬間が、自社のサービス(価値)を顧客に提供した時ではないということに気付いてしまったからだ。重症だ。

 

「いや、でも正直仕事ってそんなもんじゃないの?」論者な自分だったけど、要は仕事で提供する(べき)価値に、自分としてはあまり重きを置けなくなってきたということなんだと思う。当然、極めれば見える景色もまだまだ残されているかもしれないけど。

 

で、そこから思ったのが、自分が誰かに価値を提供した瞬間ってどんな瞬間だったんだろう?ということ。

 

答えはシンプルで、それは、くだらない日記とかクソみたいなツイートを読んでくれた人たちが笑ってくれた時だったりする。

 

不思議なもので、「あなたのおかげで後継者が見つかった」とか仕事で言われるよりも、「けんじのツイート元気出るわ~w」とかストレートに言ってもらえた時の方が5億倍嬉しかったりする。

 

だって、それは紛れもなく自分の中から生み出されたものに対しての反応だから。他の誰でもなく、自分に対する100%の評価だから。

 

もちろん、芸人でもなければ俳優でもないわけで、ただの社交辞令かもしれない。それでも、 画面越しに活字だけで人を0.5秒でもクスッとさせるのって、結構尊いことなんじゃないかと思っている。

 

話が少し逸れたけど、要は提供しているはずの価値に価値を感じないから退屈だと感じてしまったんじゃないだろうか。で、それならもっと価値を感じられることを地道にやったほうが良いんじゃないか。と考えて再開したところはあると思う。

 

 

そしてブログを書くもう一つの理由は、自分が何も考えないようになってきていることに気付いてしまったことが挙げられる。

 

便利な時代で、寝転がっていても情報はどんどん流れてくる。難しい事象には解説もついていたりする。クリックひとつで情報を自由に出し入れできる。だから、どんどん自分の頭で物事を考えなくなる。

 

で、これヤバいなと思った。

自分自身、ツイッターでいろんな記事を引用したり、「いいね」を押したり、リツイートしたりするけど、ここ数年は自分の考えをまとめたり、ガッツリ発信する機会を減らしてしまっていたんじゃないかということに気が付いた。

 

要は、大半の人がどう思っているのかという点をおさえることに終始して、自分で物事を考えたり、俺はこう思うぜバーカ!みたいなノリがなくなっていたりするんじゃないかと。そんな気がしたのですよ。それこそ、最近の自分が過去の自分よりもしょうもないと思ってしまったり。

 

だから、どんなに浅い考えでもいいから、もっと発信しようと。

朝井リョウさんの『何者』という小説風に言うと、10点でも、20点でもいいから自分の中から何か発信しなよと。そう瑞希さんに言われたような気がしたのです。

 

あとは、その時感じたこととか、しっかりと言語化することでまた新しい思考が生まれたりする瞬間もあると思ったこと。

 

そう、つまりは単純な動機なのです。

人生の記録はきっとおもしろいので、若いうちにどうでしょうか?なんて。